【女探偵物語・芹沢雅子事件簿|探偵文庫】

日本で二人目の女流探偵実録

探偵自身が書いた本や探偵のノンフィクションを紹介していくコーナーです。

 

本を通じて、この謎めいた探偵業界の実態を探ります。

 

今回、ご紹介するのは下記の本。

 

「女探偵物語・芹沢雅子事件簿」 林えり子 著 六興出版 刊 1,400円(税別) 廃刊

 

日本で最初の私立探偵事務所「岩井事務所」が輩出した、日本で2人目の女流探偵・芹沢雅子の実録です。

 

著者の林えり子氏はノンフィクション作家で、第二次大戦中の女性スパイ・川島芳子に関する話を連載していました。

 

映画「ラストエンペラー」にも登場する人物です。

 

すると生前、川島芳子と面識のあった芹沢雅子がその連載を読み、当人から当時を懐かしむ手紙が届いたそうです。

 

これを機に、林氏は芹沢氏に面会を申し込み、日本の女流探偵の草分けという稀有な体験を本にまとめました。

 

つまり、この本の内容は当事者から直接聞いた話なので、とても信憑性が高いということです。

 

昔の探偵業界の情報はネットにも多少ありますが、信憑性が常に問題になります。

 

だから、この本の情報の価値はとても高いわけです。

 

芹沢雅子だけでなく、岩井三郎や初の女流探偵・天野光子のことまで判明しました。

 

すでに廃刊になっていて入手困難な本ですが、今回運よく手に入ったので、ご紹介します。

 

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芹沢雅子プロフィール

この本の冒頭の「芹沢雅子プロフィール」の章は、岩井事務所のことや芹沢が探偵になった経緯を紹介している。

 

我々が一番関心のあることは、わずか9ページのこの短い章に凝縮されている。

 

あとは、芹沢が調査に当たった11の事件が1章ずつ小説風に描かれている。

 

では、まずこの章の内容を紹介する。

 

岩井事務所

日本初の探偵社の創業者・岩井三郎は、慶応元年(1865)、東京生まれ。

 

警視庁の刑事となり、日清戦争時の敵国スパイを摘発した実績。

 

「日本に私立探偵を」と、30歳で捜査主任を退官して、東京日本橋の現在の高島屋のそばに岩井事務所を開設。

 

当初は依頼は皆無で、人脈から仕事を得て、社会的信用を得るまで10年かかったという。

 

最初は、会社や商店の採用者の身元調査、そして結婚調査や取引先の信用調査に手を広げた。

 

明治40年代から犯罪事件も手掛けるように。

 

有名なシーメンス事件(海軍の汚職事件。事件簿は東京大空襲で灰燼に帰した。)や、伊達順之助不良射殺事件(檀一雄の小説「夕陽と拳銃」のモデル)を解決した。

 

経営の特色をいくつか。

 

  • 刑事上がりなどは決して採用せず、未経験者でも資質アリと思えば採用し、高給をはずんだ。
  • 契約金、調査料はトップレベルの高額だが、正規料金以外は一切取らなかった。
  • 金は惜しみなく探偵に分配した。金でバックアップすれば、いい結果を出すと考えていた。
  • 調査員に報告書を文章できちんとまとめさせる育成法にこだわった。

 

昭和5年に日本初の女性探偵・天野光子を採用して、結婚調査の道に進ませる。

 

昭和10年代に依頼が急増し、昭和15年に横浜出張所を開設して息子の英夫を所長につける。

 

天野の成功に気をよくして、昭和16年に女性探偵第2号・芹沢雅子を採用。

 

いろいろやらせてみると、この人は「変則調査」(尾行と張り込み中心の調査のこと)に向いていることがわかってきて、そちらの方に進ませる。

 

芹沢がようやく一人前になってきた頃、戦争が激化して事務所は閉鎖、空襲で資料もろとも灰燼に帰した。

 

昭和20年、敗戦後の日本に探偵社と興信所が急増。

 

旧特務機関員、公職追放となった憲兵、大陸浪人などが起業したが、ほとんどが悪徳業者だった。

 

岩井事務所も、英夫が戦地から戻り、芝浦機械に勤務しながら、焼け跡に建てた小屋に芹沢一人を住みこませて再開した。

 

三郎はすでに80歳で、事務所を息子に任せて隠居した。

 

23年には英夫はサラリーマンをやめて事務所経営に専念、芹沢も部下を持つようになった。

 

天野も呼び戻されてしばらく在籍したが、後に結婚調査専門の興信所に転職した。

 

22年には「中央気象台観測船事件」という大事件の依頼が舞い込み、岩井事務所の活躍が再び始まる。

 

岩井三郎は、昭和31年に92歳で他界。

 

天野光子

昭和5年デビューの日本で最初の女性探偵。

 

明治29年生まれ。山梨県の女子師範学校卒業後、いったんは教職に就くが、やめて上京し、鐘ヶ淵紡績に転職、そして結婚。

 

その後、離婚して子連れ再婚したが、夫が事業に失敗し、それを助けるために岩井事務所の新聞広告に応募。

 

採用後は結婚調査専門にされ、上流階級・有名人・俳優などの結婚調査や外交官候補の家系調べなどを月10件のペースでこなした。

 

外見の印象は、和服の似合う穏やかなインテリ女性だったとのこと。

 

芹沢雅子

明治44年、高知県生まれ。

 

高知第一高女卒業の大正13年に、軍人だった父の上海赴任に伴い、家族ともども移住。

 

上海パブリックスクールに入学して、フランス語、英語を学び、中国語も覚えた。

 

170センチ近いすらりとした長身で、国際都市上海でトップファッションの似合う洗練された女性として育つ。

 

この街で、有名な女スパイ川島芳子と何度か会っている。(川島は1947年、中国国民党に処刑された。)

 

三井物産の社員と結婚して子供を設けるが、夫が腎臓病を患い、帰国。

 

東大病院で手術を受けるが、36歳で病没し、幼子を抱えた雅子は職を探す。

 

ちょうどその頃、昭和16年、横浜出張所も開所1年を経過して基盤が固まった岩井事務所が、女性探偵募集の広告を出していた。

 

芹沢は応募するが、法律事務所のようなところで事務職をすると思っていたのに面接で探偵と聞いて辞退した。

 

しかし、三郎は「探偵はあなたが思うような危険な仕事ではない。決して失望させない。」という手紙を書いて口説いた。

 

芹沢も子供の頃に岩井に会っていたことを思い出した。

 

家出した母を速やかに発見して連れ戻してくれたのである。

 

そんな不思議な縁もあって、芹沢は岩井事務所に入社した。

 

戦争でいったんキャリアが中断されたが、戦後、三郎の息子・英夫が率いる岩井事務所で中核的な役割を果たすことになる。

 

網棚の帽子を狙え 昭和17年・春

芹沢が駆け出しの頃に扱った、中小企業の社長の浮気調査の再現小説。

 

昭和16年の真珠湾攻撃から日本は太平洋戦争に突入しており、生活の緊縮と国家への奉仕が求められているご時世に、浮気とその調査という話だった。

 

依頼者である社長夫人の見立ては会社の従業員が相手だったが、芹沢は調査開始早々にこれは愛人ではないと見抜いた。

 

対象はこれまで数多くの探偵の尾行を巻いてきた猛者だったが、芹沢は手の込んだカモフラージュを突破して、見事に実態を解明した。

 

観測船密輸事件 昭和22年・初秋

戦後、事務所再建後初の大仕事となった気象観測船の密輸摘発事件の再現小説。

 

疎開していた芹沢は、戦後に懐かしくなって事務所のあった場所を訪ねた。

 

なんと事務所は再建されていて、若先生(岩井英夫)がいた。

 

彼は今は会社を辞められないので、芹沢に所長をやってくれという。

 

芹沢は引き受けた。

 

しばらくして元水兵が探偵志望できたので、雇ってやった。

 

ある日、中央気象台の労働組合の人たちが来て、観測船の密輸の証拠取りを依頼してきた。

 

観測船入港の日、入港の前に沖ではしけに荷下ろしするのを見て、はしけの行き先を元水兵に追わせた。

 

自分は「父の船が懐かしい貴婦人」を装って、入港した船に上がり込み、「知り合いの元水兵」の雇用を約束させた。

 

水兵にカメラを持たせて、沖縄に向かう観測船に乗り込ませた。

 

自分は、水兵がつかんできたはしけの行き先で聞き込み。

 

状況はわかった。観測船の船長らが公の船を利用して、物資不足の日本に砂糖やゴムなどを密輸し、私腹を肥やしている。

 

水兵は行先で証拠写真を撮り、荷物の搬入先などもつかんだが、途中で発覚してリンチに遭い、這う這うの体で帰ってきた。

 

証拠はそろった。

 

依頼者の労組は内部処罰を望んでいたが、部下を痛めつけられて怒った芹沢は調査報告書を警察に提出した。

 

観測船は摘発され、事件は新聞報道された。

 

調査の本当の目的は密輸の利益に自分たちもあずかることだった労組はこれに怒り、岩井事務所の報告書を密輸グループに渡した。

 

誰が調査したのかを知った彼らは岩井事務所を長期間包囲した。

 

芹沢は籠城したが、元水兵はうまく逃がした。

 

やがて包囲戦も終わった。

 

元水兵は戻らなかったが、古参の探偵たちが復帰し始めた。

 

にんじん色の髪を追え 昭和23年・初夏

スカンジナビアの豪華船が横浜に入港し、6時間停泊する。

 

下船してくる「にんじん色の髪の男の行動を追え」という指示。

 

芹沢と二人の学生アルバイトの尾行を再現。

 

行動調査は完了したが、特に怪しいこともなく、調査の目的は調査員にはわからなかった。

 

だが、依頼者は日本で誰に会っているか知りたかっただけのようで、調査結果には満足との反応が届いた。

 

GHQの秘密の依頼のようで、全体の絵を知らない人間には意味のわからない調査だった。

 

怪しきパーティ 昭和24年・秋

麻布のお屋敷街にある39歳の女性の家で、週1回パーティが開かれ、外人がたくさん参加している。

 

何が行われているか調べてこいという指令。

 

女主人の素性は、先輩の天野光子が調査済だった。(天野はすでに新興の結婚調査専門興信所に転職。)

 

芹沢はまず知り合いの廃品回収業の親玉に話をつけて、屋敷から洋物の酒瓶などのゴミが出ていることを確認した。

 

次に出入りしている築地の仕出し屋の名前を聞き出し、そこに仲居の面接を受けに行き、採用された。

 

英語ができることをアピールしておいたので、ほどなく仕出し屋の主人から「もっと金になる仕事」をしないかと誘われ、受けた。

 

麻布のお屋敷に派遣され、パーティの夜を迎えた。

 

ここで行われていることは、高給売春、骨董品の売買、さらに麻薬取引のようだった。

 

そして、依頼者が知りたいのはおそらく麻薬の件だと芹沢は推定した。

 

調査目的を達成して、芹沢は淫靡なパーティの場を去った。

 

富豪令嬢誘拐事件 昭和25年・春

名古屋の土建屋の社長が、一人娘の菊子が下校中に車で誘拐されたと駆け込んできた。

 

菊子は学校でも評判の美少女。

 

芹沢は誘拐現場で車の目撃情報を集め、車の行き先が池袋のある場所であることを突き止めた。

 

部下に近辺で情報取集させたところ、菊子をさらったのは若いヤクザらしい。

 

おそらく犯した後、店で客を取らせるのだろう。

 

依頼者に状況を伝えると、警察に知らせれば娘のことも公になってしまうので、秘密裏に金で解決してほしいと泣きながら頼んでくる。

 

芹沢は行商人になりすまして、ヤクザの家付近で聞き込みをし、菊子の姿も確認した。

 

ヤクザは菊子に首ったけらしく、菊子も暮らしを楽しんでいるようすだ。

 

芹沢は警察に事情を話して、そのヤクザを競輪不正レースの件で事情聴取に呼び出してもらい、そのすきに菊子を攫って父が待つホテルに連れていった。

 

娘は反抗的態度を示したが、なんとか父と同じ列車に乗せて帰宅させた。

 

菊子を探しに来たヤクザと間一髪ですれ違った。

 

父親は娘を軟禁状態に置いていたが、計画的に脱走し、ヤクザのもとへ帰った。

 

父親はあきらめて、経過観察を依頼してきた。

 

やがて菊子の妊娠が判明した。

 

芹沢は裏世界に通じた興行会社の社長を介してそのヤクザに会った。

 

そのヤクザは菊子に一目ぼれし、やむを得ず誘拐したのであって、妻子のためにもヤクザをやめたがっていることがわかった。

 

興行会社の社長は自分の会社の社員に採用して、足を洗うのを手伝ってやることにした。

 

報告を受けた父親は二人の結婚を認めることにし、会いに行った。

 

その後、元やくざは菊子の父の婿養子になり、土建会社を継いだ。

 

何十年も経った今も、芹沢とその家族は親戚付き合いを続けている。

 

 

 

以上のほか、下記6件の調査再現小説が収録されている。

 

訴えた女 昭和27年・初夏

芹沢が探偵になって10年、一人息子も成人した。

 

そんな折、ある民事訴訟の調査を受任した。

 

薬種問屋の主人が従業員の女性に強姦の廉で訴えられ、無実を証明してほしいと依頼してきた・・・

 

多久島事件の真相 昭和31年・夏

26歳の農林省役人による8000万円の公金横領事件が発覚。

 

この事件に関し、個人が私費を投じて調査してほしいと岩井事務所に依頼してきた・・・

 

マンボズボンの幽霊 昭和31年・秋

恋人との心中が懸念される家出息子の捜索案件。

 

赤いダリアの告白 昭和33年・初秋

交通事故死した息子の事故状況を再調査してほしいという依頼。

 

スチュワーデス殺人事件余話 昭和34年・初夏

日本人スチュワーデスが殺害され、容疑者の外国人神父が黙秘権を行使して、捜査は難航していた。

 

そんな折、フランスに本部のあるカトリック団体が神父の勤務先の内偵を依頼してきた。

 

雅子探偵団、駿河へ 昭和35年・師走

50歳の時、20年間の探偵生活にピリオドを打った企業関係の調査。

 

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